防衛大臣が感情的になる恐ろしさ
稲田氏、繕えぬ答弁 森友訴訟「出廷」と訂正/顧問契約・個人献金も :日本経済新聞
よほど、出廷していないことに自信があったのか、それにしても相当いい加減な答弁をしていたものだ。
良い経験として、発言は感情的にならずに慎重に、ということだろうが、とはいえ、防衛大臣という現在の立場。
感情的な振る舞いを、防衛に関わる決断の場でされてもらっては困る。
次のチャンスがいつ来るかわからないけど、ここは一度身を引くべきかな、と。
普段、私は「責任取って辞任を」ということに賛成することはないが、これについては、「不適による辞任を」は賛成せざるを得ない。
日本はイノベーション遅れで、産業が沈没するのではという懸念
(断絶を超えて)(2)シェア経済 アジア先行 牛歩の日本、草刈り場 :日本経済新聞
これ、近い将来の日本経済にとって、大問題になりかねない。
既存利得権益保持者による圧力で、遅々として進まない構図であることは容易にわかる。
でも、本当にそれで良いのか。
このままだと、日本全体の産業(特にサービス産業)が沈没しかねない。
時代に合わない古いままのものは、淘汰される。
淘汰するのが、同じ日本の企業だったら良いけど、外国企業がそこを狙っている。
どんどんどんどん遅れていく。
これは、政治家のリーダーシップで、バシッとやってほしいな。
マネジメントって教わるものなのか。
(ダイバーシティ進化論)サービス産業型のマネジメント とがった個性を生かして ライフネット生命保険会長 出口治明 :日本経済新聞
「マネジメント」って、その会社や事業のステージによって、必要な要素が大きく変わる。これを無視して、「マネジメントとは」っていう教えを実行すると大失敗することがある。
私の場合、新規事業の立ち上げ時に、割と成熟した組織と同じような「マネジメント」を持ち込んで大失敗した経験がある。
自分自身でも違和感を持ちながらの「マネジメント」。当時の上司の教えを素直に受け入れ実行していた。現場感覚的には少し違和感を持っていたが。
まぁ、自分自身に自信がなかったから、そうせざるを得なかった感じかな。
マネジメントは、そのステージによって、変わるものという前提を認識する。
そして、それはマネジメントを担うものが、自分の意思、意志で最終的には実行するということ。
謙虚に自分を信じること。
最後はそれだ。
「なんとかテック」と名乗れる条件を考えてみた。
(Beyond the Finance)(3)気がつけば投資家に スマホで身近、運用に革新 :日本経済新聞
フィンテックに代表されるように、「なんとかテック」は、今やなんでもありだ。
言ったもん勝ちみたいになってるけど、あえて「テック」と呼べる条件を考えてみる。
それは、覇者がある業界に対して、あたらしい事業者が最新のテクノロジーを使って新たな付加価値を生み出していること、と言えるのではないか。
保険業界も、「インシュテック」とか言ってるが、これは既存勢力が言ってるのであって、上記の定義においては、「テック」に入らないことになる。
これから、何テックが出てくるかわからないが、上記の定義を元にその価値を見極めるとわかりやすいと考える。
銀行より銀行になるかもしれないのは誰か
(Beyond the Finance)(2)支払いのない世界 決済に異業種、溶ける境界 :日本経済新聞
これ、本当に近い将来だと思う。想像しているより早く。
そのとき、安全性の確保が当然重要になる。物理的な強盗リスクはなくなるが。
ブロックチェーン、そしてその先の技術も含めて、全世界の政府、そして民間が手を組み、「現金のない世界」に向かうかもしれない。
そのとき、本当に銀行は必要か。
銀行以上に安全性の高いシステム構築したものが、その時代の銀行になるかもしれない。
知力を養う任を担う、新聞メディア
ネットメディア社会において、もしかしたら罪になるかもしれないのは、「自分に興味のある情報しか目に触れなくて良い」ことだ。
とくに、AIが進化することで、その傾向は強くなるだろう。
大量の情報があるがゆえに、逆に、視野の狭い情報収集になる。
人の知力を養うのは、自分とは違う意見、知らない世界を知り、それに対して自分がどう考え、将来のためにどう動くかだと思う。
ネットメディアだけで生活すると、その可能性が少しずつ、小さくなっていくかもしれない。
そこで重要になるのが、歴史あるメディアなのだろう。
とくに新聞。伝える手段は、紙でもネットでも良い。
人間の知力養成に重要な役割があることを十分に意識、理解して、その任に当たって欲しい。
SNSポリティクス時代の新聞社の役割
(核心)世論形成が危ない SNS政治に「待った」 論説主幹 芹川洋一 :日本経済新聞
新聞だろうがテレビだろうが、その手段は何でも良いし、時代にあった形での世論形成の方策があるだろう。
大切なのは、「誰が」その情報を発しているか何だと思う。
SNSを通じて発信、共感される情報に対して、新聞社、記者が客観的な評価をいれながら、冷静な批判をしていく。
SNSがダメだ、では、新聞社も終わりだろう。